87 メキシコとアメリカの仲『老いぼれグリンゴ』
世の中の変化がいつもよりずっと速い時がある。
たとえば戦争。
勝つと負けるでは大違いだから、社会全体が沸騰して、みんなが必死に
なる。
普段の生活と比べると、野球と卓球くらいペースが違う。
もう一つは革命。
体制をひっくり返すんだから、これもみんな必死だ。
しかし、メキシコ革命というのは1911年から30年くらい続いた。
フランス革命やロシア革命に比べるとずいぶん遅い不安定な政権交代だ
った。
革命初期に独裁者が退場した後の頃、二人のアメリカ人がメキシコに行
った。そして、革命軍を率いる若い将軍の一人に出会った。
ここから始まるドラマがカルロス・フエンテスの『老いぼれグリンゴ』。
二人のアメリカ人の一方はもう70歳を越えた老人で、彼は世の中に絶
望して「みてくれのいい死体」になろうと思ってメキシコに来る。
つまり、革命のドンドンパチパチのさなかでかっこよく死のうと思って
いる。納屋で首を吊るよりは煉瓦の塀の前で銃殺される方がいい、と思っ
ている。
彼はグリンゴと呼ばれる。
メキシコ人がアメリカ人をちょっとバカにして呼ぶ時の言葉。タイトル
の老いぼれは彼のことだ。
もう一人は若い女。
ハリエットという名で、大地主の家に家庭教師として雇われた。
ところがアメリカからメキシコの田舎まで来てみたら、革命軍を恐れて
大地主の一家は外国へ逃げてしまい、屋敷は空っぽ。
それでも、もらった給料の分だけはそこで雇い主の帰りを待つと彼女は
決めた。帰ってくるはずがないけれど、アメリカに戻っても希望はない。
将軍はアローヨという名で、まだ若い。
貧農の出で、革命騒ぎの間にあれよあれよという間に出世してしまって、
今は結構な軍勢を率いている。先住民とスペイン系の混血。つまり典型的
なメキシコ人だ。
混血であるのが典型というのがメキシコなんだ。
国民の6割までは混血。
これがどういう意味か、アメリカと比べるといい。
アメリカは多民族国家だけれど、先住民(つまりインディアン)と白人
の混血はほとんどいない。
北米に並んだ二つの国でどうしてこうまでも違ってしまったのか?
グリンゴがハリエットにこう言う──「そして、思いだすんだ。わたし
たちがインディアンを殺したことを。インディアンの女とセックスをし、
少なくとも混血の国を創る勇気を持たなかったことを」。
そう。アメリカでは殺した。メキシコでは犯した。
それが20世紀にアメリカが発展してメキシコが立ち後れた理由だとし
たら? 悪事としてどちらの方がたちが悪いか?
この小説の軸はグリンゴとハリエットとアローヨ将軍の三角関係だ。
精神と肉体と理想とそれぞれの社会的背景が絡み合ってすごくおもしろ
い。
ぼくが旅をした印象では、アメリカよりもメキシコの方がずっと楽しい。
人が人の顔をしているし、食べるものもみなジャンクでなく本物。
一年住むとしたら、アメリカではなくてメキシコを選ぶ。
『老いぼれグリンゴ』を読んだだけでもそれはわかると思う。
池澤夏樹
初出:2009年6月 夕刊フジ
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