アフガニスタンという鋳型、祖父母の怪談

 ×月×日
 立派な人がいる。

 常人にはとてもできないような偉業を成す。

 膂力が人一倍とか、円周率を一万桁覚えているとか、そんな類のことではない。そんなことではたとえ感心はしても尊敬はしない。

 倫理的に正しいことを、多くの困難を超えて、長期に亘って実行しつづける。徹底して利他的・愛他的。しかも本人は力んだり歯を食い縛ったりすることなく、どちらかと言うと淡々とやってきた風情だったりして。

 だがよく見るとそれが実はとんでもない仕事で、着実な成果で、だからこそ常人にはとてもできないことだと納得する。

 さて、このような人物を前にした時、いったい常人はどうふるまえばいいのだろう?

 『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』(岩波書店 1900円+税)という本を読んでぼくはそういうことを考えた。

 これはアフガニスタンの田舎でまず医師として働き、やがてその地では病気以前に人々の生活そのものが危ういのだと気づいて、水の確保のために井戸を掘り水路を築いた中村哲という偉大な人物のこれまでの人生について、優れたノンフィクションの作家である澤地久枝が聞き手となってまとめた本である。

 中村哲の活動は広く知られているし、その拠点であるペシャワール会という組織も知られている。資金集めのために彼は全国で精力的に講演をしているから、それを聞いた人も多いはずだ(ぼくも聴衆の一人だったことがある)。

 しかし、アフガニスタンの現状と活動の意義は講演でわかっても、中村哲という一個の希有な人格がいかにして生まれたかはわからない。彼はほとんど自分を語らない。

 アフガニスタンの現実、あの国が抱え込んだ課題があまりに大きいので、その前では自分の成り立ちなど語るに値しない、と言うかのごとくだ。

 あるいは、アフガニスタンが彼を作った、ということかもしれない。中村哲という人物を理解するにはこの見かたがいちばんいい。目の前の状況がある。それに対して自分はこれだけのことができる。あるいはこれだけしかできない。だからそれを成す。他にどんな選択肢があるというのだ?

 いわばアフガニスタンは鋳型であり、中村哲は溶融状態の青銅だった。この組合せで一個の人格が形作られた。

 だから出自については祖父母の代から親の代について饒舌に語るし(火野葦平が伯父にあたるとか)、昆虫少年が精神科の医者になった経緯も話すが、その先の主役は結局は彼ではなくてアフガニスタンである。過酷な状況と、その元凶である諸外国の勢力、そこでできること、の話になる。

 澤地はしつこく食い下がるけれど、中村の内部には自分を語る言葉はないかのようだ。これまでに達成したことを話せば自慢にもなるだろうが、彼にはこの先しなければならないことしか見えていない。

 そこで明らかになるのは、日本の常人たち・凡人たち、もっとはっきり言えば、政治家と官僚とジャーナリストたち、ぼくたちの代表であるこれらの俗物どもと彼の間にある決定的な断絶である。

 中村と一緒には働いていた伊藤和也が現地で亡くなった時、日本のジャーナリズムは一斉に「危ないから、皆、引きあげろ」と合唱した。しかし、彼らの活動はその時までに五人の殉職者を出していたことは報道していない。その五人は日本人ではなく、現地の人々だったから。
(2003年秋にイラクで奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官が殺された時、一緒に犠牲になったイラク人の運転手の名を日本のメディアはほとんど報道しなかった。彼の名はジョルジース・スレイマーン・ズラである。)

 中村は「危ないということは、私は、一昨年から言っているのに」と言う。「それでも務まっていたのは、いまは大干ばつの真っ最中で、何十万人かの命を預かっているという、その責任感でおったわけです」

 だから、アフガニスタンが彼の鋳型だというのだ。

 たいていの人はそういう鋳型を持たない。たぶん、その硬度に耐えられなくて事前に逃げてしまうのだろう。

 中村はアフガニスタンの側から見ている。

 圧倒的な軍事力でことが解決できると思っているアメリカの暗愚、対空砲火がない空を何時間でもゆっくりと飛び続けられる無人偵察機と無人爆撃機による結婚式や学校への攻撃。これはテクノロジーの成果ではあっても戦いの倫理としては最低の所業、卑劣千万の行いではないか。なぜ日本はそれに荷担するのか? 

 そもそも、なぜアメリカがアフガニスタンを攻撃しなければならないのか、その理由がぼくにはさっぱりわからない。誰かわかりやすく説明してくれないか。

 結局のところ、アメリカの属国である日本の我々からアフガニスタンはあまりに遠いのだ。遠いものは無視できる。見えないことにできる。しかし目をこらして見ることもできる。

 最初の疑問に戻ろう。中村哲のような偉人をどう扱えばいいのか?

 彼個人を尊崇することに意味はない。自分には決してできないことをする人物への思いは容易に妬みや悪意に変わり得る。イラク人質事件の際の大衆のグロテスクな反応を思い出せばわかることだ。

 彼ではなく、彼が指さす先を見る。アフガニスタンを見る。アメリカのやりかたに徹底的に反抗する。それを是とする議員を次の選挙で落とす。そして、言うまでもなく、中村哲とペシャワール会を支援する。

 そういう当然の結論に至るためにこの本はあるのだろう。

 ×月×日
 自分は怪談が好きらしいと最近になって気づいた。長篇のホラー小説ではなく、短い、実話という体裁の怖い話。不思議と怪異の話。

 『聊斎志異』とか『子不語』とか、手元に置いて仕事の合間に一つ二つ読むのがいい。後架に置くという手もある。

 『杉村顕道怪談全集 彩雨亭鬼談』(荒蝦夷 1800円+税)も我が意にかなう怪談集だった。

 時代は江戸後期から昭和まで。場所はもっぱら庄内と仙台、江戸・東京、それに信州が加わる。

 杉村顕道は明治37年東京の生まれだが、本来は庄内鶴岡の士族の出である。多才多趣味の人であったらしい。

 この怪談がいいのは、時代の雰囲気があるからだ。我らが祖父母、あるいはそのもう一つ前の世代の生活感が香ってくる。

例えば、「黄八丈の寝衣」という庄内鶴岡の話。時代は明治初年。

 夫は官僚として福島に赴任、留守宅には母と嫁、二人の子が残された。ところが、この嫁が結核に罹った。子供たちにうつると困るというのでしばらく実家に預けることにした。

 ところが、子供のことが気になるのか、この嫁がしばしば帰ってくる。その姿がお梅という下女一人にしか見えない。「黄八丈の寝衣に緋縮緬のしごきを前結びにして、青蚊帳を前に、行灯の灯に照らされている」という描写だけで怖い。

 幽霊ではなく生霊というところが珍しい。一年後に亡くなったらもう出てこなくなったという。

 こんな話がぎっしり詰まっている。本当なら本で読むものではなく、「こんなことがありました」と耳で聴くものだっただろう。怪談と猥談は今はもう失われた文化なのか。

初出:週刊文春「私の読書日記」
初出年月日:2010年3月25日号
収録:(2010年5月16日現在)書籍未収録

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投稿者:impala | 2010/5/16