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エッセー/紀行

パレオマニア
―大英博物館からの13の旅

集英社文庫

著者:池澤夏樹

古代妄想狂(パレオマニア)を自称する男が
大英博物館で気に入った収蔵品を選び、
それらが作られた土地を訪ねる、
知的興奮に満ちた旅。

大事なのはいいものが残ること。作者の名がなくてもそれ自身の力で生き残るようなものを作ること。だからそれを作った人間は美しいものを作っただけで幸福。五千年前のメソポタミア、二百五十世代重ねた昔の人と、人の精神の基本形は変っていない。

第8回桑原武夫学芸賞受賞。

この作品のレビュー

パレオマニア(古代妄想狂)を自称する「男」は、知的好奇心にあふれる心優しき旅人だ。「大英博物館」に通い、心を惹かれた収蔵物を生み出した過去の文明を巡る、世界13か国の大紀行。旅をする作家「池澤夏樹」を代表する傑作であり、池澤文学の根底にある「文明論」の頂点を成す大作である・・・というぼくの評価を(まだ、この本を読んでいない潜在的な読者に向けて)、レビューという短い枠内でうまく伝えられるだろうか? まず、池澤さんご本人の「評価」を、『ぼくはこんな旅をしてきた』という秀逸なインタビューから拝借したい。「ここに至るまでの旅の経験などは、この『パレオマニア』に集約されたのではないでしょうか?」「一回の取材は二週間かかります。年の四分の一は旅の空という暮らしが、実質三年から四年かかりました。」「ぼくの旅は、移動の体験が三分の一、遺跡を見るのが三分の一、あとは考えること。印象より一歩踏み込んだ、今まで誰もやって来なかった旅だったと思います。」(『池澤夏樹の旅地図』より抜粋) 結局のところ、「文明」とは何であろうか?と考えさせられる。おそらく、百年後の人類も、荒れ果て汚れた「再生不可能な地球」を前に、「人間の愚行」を嘆きながら、同じ思いで「文明」を振り返るだろう。現代社会の忙しい日々は、何のためにあるのだろうか?便利であること、効率が良いことに、なぜみんな踊らされるのだろう?我々に与えられた短い時間の中で優先すべき大切なことは、「幸せに生きる」「大事によく生きる」ことではなかったのか?消費欲を満たすこと、名前を残すこと、いくら儲けたかなどは、歴史の中では重要なことではない。だいたい、地球環境を持続できない文明は、美しくもないし、持続するはずがない。 「男」(池澤さんの分身)は、効率がすべてを損なってしまった現在を、「誰も美しいものを作っていない時代」だと言う。それならば、自ら進んで時代を離れて、「過去に答えを求める旅」に出掛けようと思う。世界中の古代遺物を見て廻ることで得られる知恵は、結局のところ、現在を生きるために必要な知恵であり、「過去は現在」なのだ。「男」は、古今東西、時空を超えた「思索の旅」へと案内してくれる最高のガイドでもある。我々の生きている「世界」を作り上げてきた「文明とは何か?」と言う命題に対して、大英博物館で選んだ古代遺物群は、ある意味で、その答えを探すきっかけにすぎない。 その知性、好奇心、洞察力は、言うまでもなく超一流なのだが(『パレオマニア』の面白さは「男」のユニークな思索に凝縮されている)、ぼくは個人的に、著者の「世界を見る目の優しさ」に何よりも心を動かされる。彼の視点の先にあるのは、いわゆる観光客が好みそうな、世界史に残る遺跡ではない。エジプトのピラミッドに代表されるような支配者の権力を誇示する巨大遺跡ではなく、それぞれの時代に生きた人々の生活や、遺跡を実際に作った民草の労苦を想う。権力側の思惑ではなく、庶民の生活の集大成である「文化」の側から「文明」を見つめる。弱者の視点から世界を見る「愛の深さ」は、池澤作品のすべてにおいて根底で共通している。 文明のあけぼのから約5千年。教科書で習った、国の興亡や権力者の闘争が人類の歴史ではない。「人が生まれて、育てられ、大人になって、誰かに恋をして一緒に暮らし、子を成して育てる。そういうことが、さまざまな出会いや事故や幸運などなど、たくさんの喜びと悲しみからなる人生が、250段重ねられる」くらいの時間の厚みの中で、この地球に生きて来た数百億人の、ひとりひとりの人生の積み重ねとして「文化」や「文明」があり、それこそが「人の歴史」なのだと気付かされる。 我々はどんな時代を生き、何を目的として活動するのだろうか?消費欲に着き動かされた社会から逃れられない人々・・・行き過ぎた都市化や物質文明に疲れて、「どうしてこんな世界に生きているのだろう?」と不思議に思うことは、誰にだってあるはずだ。3代前のご先祖のこともよく知らない我々は、自分の3代後の子孫に起きる未来を真剣に考えられるだろうか?文明を支えてきた「自然環境の恵み」が人類を見捨てる前に、我々はいま一度、「文明の意味」を根本から見直す時に来ているのだ。5千年単位の長い時間軸で、過去と現在を見つめ、そして真剣に未来を想う。それが今、皆に求められていることではないのか?池澤さんは、我々にそう問い掛けているのだ。 古代(パレオ)を通して、人類の歴史を考えること、文明の本質を知ること、人間と自然のあるべき関係を探ること。そこから、我々の生きている「世界の本質」が見えてくる。そんな根本的な問いに対する、数珠の言葉こそが、『パレオマニア』の最大の魅力だろう。古代から現在に残ったものに対して、それぞれの文明や遺跡の専門家はたくさんいる。だが、そこから得られる世界観と文明に対する本質的な意味を、これほどの深みを持った文章を通して綴れるスケールの大きな作家をぼくは他に知らない。 この本は、「池澤夏樹」の代表作のひとつとして、読み手の人生観を変えるような本であり、歴史に残るような名著だというぼくの感想は、きっと個人的なものではないはずだ。 追記: 最後に、これからこの本を読む人に、(ぼくからの)ちょっとしたアドバイス 「男」のガイドする旅を楽しみ、その思索を正しく理解するためには、ちょっとした工夫がいる。まずゆっくり読むこと。次に一度にたくさん読んではいけない。ゆっくりゆっくり、「男」と一緒に旅をするように読むのだ。知的興奮とユーモアに満ちた数々の旅は、まさにフルコースの大作で、13か国28章も用意されており、それぞれの章が1回ごとに完結している。 選ばれた場所は、ギリシャ、エジプト、インド、イラン、カナダ、イギリス、カンボジア、ヴェトナム、イラク、トルコ、韓国、メキシコ、オーストラリア。気の向くままにページを開き、好きな場所を、好きな時に、1章ずつ時間をかけて、大切なメッセージを心に刻みながら読んでほしい。「共感できる喜び」、これが何よりも得難いものなのだ。個人的には、ぼくの住んでいるオーストラリアのアボリジニ文化が長い旅の終わりで、大きな意味合いを持って書かれていることが嬉しかった。 合わせて、『池澤夏樹の旅地図』(世界文化社)と『未来圏からの風』(PARCO出版)を読んでほしいと思う。美しい写真と対談が多いこれらの本を一緒に読むことで、池澤さんのガイドする旅がより楽しく意味深いものになるはずだ。

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谷萩真樹さん

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作品情報

目次

話のはじまりとギリシャの乙女
若くして死んだデロスの青年
ナイルを渡るガラスの棺
四千六百五十年前の船大工
シャカの隣に美女二人
出家のために妻を忘れる方法
ホメイニが消し忘れた女
牡牛に噛みつく獅子の図
サンダーバードに導かれて
まだ立っているトーテムポール
ケルト人はいなかった?
三度まで殺された男
あの魅力的な微笑への旅
石と木と永遠の闘い
チャンパという奇妙な国
過去は現在であるか
バビロンの流れのほとり
地中の宝物と発掘の原理
金属という素材の輝き
帳簿と碑文の間
韓の、童のような石仏
黄金の耳飾りの遠い起源
アステカの謎、カトリックの謎
ヤシュチランへの遠い道
モノに依らぬ幸福感
アボリジニと聖なるもの
ロンドンに帰る
メトロポリスにて

発売日: 2008/8
出版社 : 集英社