077 サン・ナゼール、交通の方針 その2

 サルコジが大統領になって半年になる。
 フランスはどう変化したか。
 いちばん重大な変化はアメリカへの接近だとぼくは考える。
 フランスはこれまで軍備を背景にした米英の外交とは一線を画してきた。
 シラク前大統領はドイツと手を組んでアメリカの対イラク開戦にはっきりと反対を表明した。
 ブレアのイギリスは積極的に参戦したけれども、EUはぜんたいとしては手を貸さなかった。
 しかし、サルコジ大統領はイランの核開発疑惑に対するブッシュ大統領の強硬姿勢に賛成している。
 ドイツのメルケル首相が真っ向から反対はしないまでも自重を呼びかけているのと対照的。
 しかのみならずサルコジ大統領はNATOの統合軍事機構に復帰するとまで言い出した。
 フランスは1966年に時のドゴール大統領がアメリカ主導の方針に反発、政治機構にのみ籍を置いていたのだが、サルコジは最高意思決定機関にポストが用意されるならば軍事的にも復帰すると言う。
 もしも彼が2003年の3月にフランスの大統領だったら、フランスは対イラク戦争に参加して今見る惨状の責の一端を負っていたのだろう。
 更に移民問題も大きい。
 アフリカ系というか、モスレムというか、あるいはマグレブの旧植民地系と呼ぶか、そういう人たちに対する施策は今後いよいよ冷たいものになるだろう。
 経済についていえば、米英流の新自由主義の経済はすでに深くフランスに浸透している。
「ル・モンド・ディプロマティック」誌の主筆イグナシオ・ラモネによれば、プライベート・エクィティと呼ばれる貪欲な投資ファンドが経営権を握ったフランスの企業は1600社に上り、フランス人のフランス人の12人に1人はそういう企業で働いているという(アメリカではこの比は4人に1人であるとか)。
 2006年だけで傘下に入った企業の数は400社も増えた。
 この種のファンドは、雇用を削減し、賃金を圧縮し、業務を効率化し、そして事業所を移転するという企業「合理化」の4大原則を実行、更に転売を重ねて厖大な利益を得ているのだそうだ。
 政府がそちら側についたら、あるいはその活動を規制する姿勢を放棄したら、労働者や地道な企業の経営者は立つ瀬がない。
 だが彼にとってさしあたりの最大課題は年金制度の改革であったようだ。
 どこの国でもこれまでの年金のシステムはいずれ破綻することが明らかで、早く改革に着手しなければいけないという事情も似たようなものだ。
 サルコジは就任早々、勢いに乗じて改革を進めてしまおうと指揮を執り、不利益を被る人々がこれに反発した。
 それで広範囲なストライキが始まって、これを書いている今もいろいろな分野で続いているのだが、この光景は1995年を思わせる。
 シラクが大統領になって半年後のやはり冬、失業対策の棚上げと福祉予算の削減が理由でストライキが始まって、例えばパリでは3週間の間ずっと地下鉄もバスも動かなかった。
 選挙を経て信任された新しい大統領に対して、それでも我々はあなたを100パーセント信頼しているわけではないと宣言するために、あるいは多数決というおよそ大雑把な選挙制度の限界を明らかにするために、一度は労働組合を通じて反対の姿勢を誇示しておく。
 一歩離れてみると、フランス人にはそういう性癖があるかとも思われる。

 実際、日常生活に及ぼすストライキの影響は大きい。
 ストライキが始まって間もない頃、親しい友人が所用でヴェネツィアに飛ぶことになって空港に行った。
 フランスのストライキは五月雨式で、静かに始まり、やがて土砂降りになり、しばらくすると小降りになって、止む。
 彼はまだしとしとの段階だろうと思って空港に行ったのだが、実はもう土砂降りだった。
 エール・フランスの国内便はすべて欠航。
 しかし、ヴェネツィアへの便はアリタリアとの共同運行で、従って事態はなかなか微妙なのだ。
 会社側はなんとか機材と人員を確保して飛ばそうとしている。
 飛ばなかった場合はたぶんアリタリアに対してペナルティーが発生するのだろう。だから彼が行った段階ではその便は欠航ではなかった。
 2時間ほど待ったところで機材の手当はついたが、本来この便に使われる大きな飛行機ではなかった。当然ながらお客の積み残しがでる。
 こういう場合には露骨な経済原理が働いて、この便の切符に対して最も多くを払った客から乗せてゆく。
 安売りチケットやマイレージの無料特権で切符を手にした客は後の便に回される。
 その後の便が出るかどうかわからない。
 しかし会社は欠航とはなかなか言わない。
 単に出発が遅れている段階で諦めて帰ってしまうと、それはお客の勝手な判断だから切符の払い戻しや後日の再利用は受けられない。
 それを狙って引き延ばしているのでもないだろうが、あるいはそれが本音なのかもしれないと疑いながら、友人はとんでもない雑踏の中で立ったまま4時間待った。
 そこで遂に欠航が発表され、彼はすごすごと家に帰った。
 投票と同じ重さで、ストライキの不便を凌ぐことでフランス人は政治的意思を表明しなければならない。
 ストライキのない国から来たぼくはなかなか複雑な思いだった。
 ぼくがサン・ナゼールへ行くためにまず空港に向かったのもストライキのためである。
 もともとはTGV(新幹線)で行くつもりで予約もしてあったのだが、当日は鉄道がストライキに入る日だとわかり、急遽エール・フランスの便に替えた。
 少なくとも今回は両方が同時に停まることはないらしい。
 鉄道で行くはずの客がみな飛行機に押しよせて空港が込み合っているかと思ったが、そういうこともなかった。
 途中の道路の混雑もいつもと同じ。
 つまり大半のフランス人はストライキとなったら外出を諦めて家でじっとしているのだろう。
 今回のストライキは仕掛ける側もある程度の抑制を心掛け、一方的に押しまくるような印象にならないようにしている。
 列車も3、4本に1本くらいは動いているし、郵便局も表口は閉めていても裏の私書箱などがある側はひっそりとながら業務を続けている。
 緊急性の高いお客に対しては窓口が開いている。
 このあたりの駆け引きはしたたか。

 サルコジ政権になってからのことではなくしばらく前からの傾向なのだが、フランス社会は少しずつ車の使用を制限する方に動いているらしい。
 うちの町でいえば、道路の使いかたがずいぶん変わった。
 日本に比べるとフランスは一方通行の道が多い。
 二車線分の幅がある一方通行の道で、しかし一車線分は駐車スペースとなっているところが、その駐車スペースを数台分ごとに左右に割り振って、一気には走り抜けられないようになった。
 2、30メートルごとにスキーの大回転競技のように右に寄り左に寄りを繰り返さなければならない。その分だけスピードが出せなくなった。
 この国だけでなくヨーロッパの道路は市街地とそれ以外の区別がはっきりしている。
 市街地では制限速度は50キロ、その外へ出ると90キロ。
 高速道路では130キロないし110キロ。
 状況に応じてもっと遅い制限速度になっているところはあるけれど、原則はそういうことだ。
 その市街地で、自動車の利便を制限する動きが目立つ。
 警告の標識を出した上で、路面に数センチの突起を設ける。
 30キロ以上の速度で通過すると相当な衝撃がある。
 その数がずいぶん増えた。
 この障害物を避けようと対向車線にはみ出す車があるのだが、規制する側は速やかにその間に標柱を立てて防止する策に出た。
 駐車スペースもずいぶん減らされた。
 前ならば4台は駐められたはずのところに今は3台しか入らない。
 障害物があるわけではないのだが、路面標示がこの部分はご遠慮願いたいと言っている。
 いきなり取り締まりを強化して罰金をむしり取るのではなく、じわじわと締め上げる。この力加減はなかなかうまい。
 その方針の延長線上にあるといっていいかどうか、ヴェリブと呼ばれるパリの公共自転車が評判がいい。
 街角に自転車置き場があって、品のいいデザインの自転車がずらりと並んでいる。これをステーションと呼ぼう。
 利用者は予め登録してカードを貰っておき、そのカードを精算機に差し込むとロックが外れて自転車が引き出せる。
 行きたいところまで乗って、そのあたりのステーションの空きスペースに収める。
 このシステムを最初に実用化したのはパリではなくリヨンで、ぼくはこの夏の前にそれを見て、利用はしなかったけれど、なるほどうまくできていると感心した。
 パリは一歩遅れてこれを採用したらしい。
 ストライキの最中は当然ながら利用者が増えた。
 これまでは平均して一日あたりの利用者数がのべ6万人から8万人だったのが、11月14日にストライキが始まると一気に11万から17万くらいまで増えた。
 それまでの最大が9月の晴れた日曜日の13万4000人だったというから明らかな増加。
 パリらしいと思ったのは、常に整備を必要とする自転車のための修理工場がセーヌ河に浮かぶ舟の上にあるということ。
 パリはやはりセーヌ河に沿って開けた市街であり、人の行き来も河に並行する動きが多くて、あまり河から離れない。
 修理工場を河に浮かべて、今日は上流側、明日は下流側と移動しながら近い範囲内の自転車を直すというのは合理的なのだ。
 もちろん不満もさまざまある。
 使いたい時にステーションに自転車がないというのも問題だが、返したい時に空きスペースがない方はもっと問題。
 借りているかぎり料金がかかるわけだから返せないとなると利用者は怒るだろう。
 モンマルトルなど丘の上の方では、乗って坂を下る利用者ばかりで登ってくる方が少ないのでいつも自転車が足りない。
 こういう制度というのは細かな手直しを経て成熟してゆくもので、運営する側にはそれだけの柔軟性が要求される。
 現に、空き自転車がある最も近いステーションを知らせるサービスが始まったという。
 ぼくは乗る人々を見ただけで乗ったわけではないけれど、本当に大きな問題は自転車レーンの確保だと思った。
 今は主要な道にはまだ自転車専用のレーンはない。バスやお客を乗せたタクシーのための車線を自転車も走ることになっていて、ここはバスのことを考えて少し幅が広いのだが、それでも危なっかしく見える。
 今のフランス人はたぶん今の日本人と比べるとずっと忍耐強い。
 買い物の時でも車を運転している時でも、だいたい文句を言わずに順番を保つ。
 ぼくの町でいえば、一車線の一方通行の道を自転車が走っていたら、その後ろについた車はゆっくりゆっくり、決して自転車を煽ったり脅したりしないよう、どんな意味でもそのような印象を与えないよう、しずしずと距離をおいてついてゆく。
 乗り物のサイズに左右されることなく、平等な路上権が確保されている。
 だからパリのバス・レーンも見た目ほど危険ではないのかもしれないが、アムステルダムのような自転車の先進都市と比べるとパリはまだまだという気がする。
 アムステルダムでは主要な道路にはどこも自転車専用のレーンがあって、寒い冬でも人々は元気に自転車で往来している。
 ぼくは交差点で信号が変わるのを待つのに、立つべきでないところに立っていて自転車のベルに追い散らされた経験が一度ならずある。
 自転車普及の前提として地理的な条件もあるだろう。
 アムステルダムはまずもって平坦であるし、町の大きさが自転車に合っている。
 パリも充分に自転車で行き来できるサイズだと思うが、先ほどのモンマルトルのように丘もあるわけで、完全にフラットではない。
 それでもこれから自転車専用レーンが四通八達したら、ふらっと行ってヴェリブを借りだして走り回ることができたら、ずいぶん楽しいことだろうと想像する。
<サン・ナゼール、交通の方針 おわり>

(池澤夏樹 執筆:2007‐11‐25)

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投稿者:impala | 2008/3/16

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