041 聖マルタン、愛知万博、植民地の料理、車を燃やす その1
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大変お待たせいたしました!『異国の客』が復活しました。
月刊誌「すばる」(集英社)の連載は、2006年1月号(2005年12月発売)より再開いたしました。今後、隔月での掲載予定です。
当ブログの掲載は、CaféImpalaのサイト工事やクリスマス休 暇などの理由ですっかり遅れてしまい、申し訳ありませんでした。
今後は、隔月の4週連続で掲載する予定です。
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連載をしばらく休載している間に夏が来て夏が去り、秋になって木々の葉は黄色くなり、その果てに今朝の気温は零下4度だった。
この秋はずいぶん暖かいと思っていたけれど、やはり冬は来た。
朝の8時、車の窓がすっかり霜で覆われているのをクレジット・カードで削り落とす。
去年の冬にそのための小さな道具をガソリン・スタンドで買ったのだが、春先にどこへしまったかわからなくなった。また買わなくては。
11月11日は聖マルタンの祝日で、それをその週末にずらしてフェット・ド・ランタンという小さなお祭りが学校主催で開かれた。
土曜日の午後6時、子供たちは学校に集まって、手に手に手製の燭台を持って、近くの広場まで数百メートルを歩く。
去年はこの町から少し離れた村で行われたけれども、今年は学校周辺になった。
聖マルタンとはいかなる聖者か? カトリックには聖者が多くて(正式の教会用語では「聖人」だが、どうもぼくは「聖者」の方がしっくりくる)、一日ごとに割り符られただけでも365名はいる勘定になる。
聖者にはそれぞれ由来があって、要するにとてもドラマティックな伝記がたくさんあるわけだ。
それを束ねた本として『黄金伝説』などの聖者伝もある。
何かきっかけがあった時に特定の聖者のことを調べるのは楽しい。
聖マルタンはなんとフランスの守護聖者だった。
出身はパンノニアだから今のハンガリーのあたり。時代は4世紀。
ローマ帝国の軍人になって、フランスすなわち当時のガリアに派遣された時にキリスト教徒に改宗。
信仰篤くて、フランスで最初の修道院を開いた。
西ゴート族とフランク王国の戦いで後者が勝ったのはこの聖者の力に与ってのことだったというので、フランスの守護聖者になったらしい。
戦争の一方に荷担したから守護聖者というところは身びいきだが、昔のことだからいいとしよう。
相手は異教徒だったしなどと言い出すと、イラクでひどいことをしているアメリカ軍の従軍牧師の立場なども論じなくてはいけなくなる。今はそういう殺伐な話はやめておきたい。
聖マルタンで大事なのは彼が施す人だったことだ。
寒さに震える貧者に自分のローブを半分切って与えたという話が伝わっていて、この貧者は実はキリストだったという説もある。
半分というところがなかなかよろしい。
今回のフェット・ド・ランタンは近隣の人の協力と参加がよかった。
子供たちと歩いてゆくと、沿道の家々が窓に蝋燭をともし、歩道の脇にランタンを置き、並木の枝にも灯りを吊って、気分を盛り上げてくれた。
子供たちが歩くにつれて家々から出てきて合流する人たちがいる。
みんなで集まる広場というのは実はふだんは住宅地内の五叉路の交差点で、だからまずは道路を封鎖して車の流入を止めなければならない。
すぐ近くの消防署がはしご車まで出して道をふさいでいる。
入ってくる車もあるけれど、事情を説明するとUターンして別の道を探す。
参加者が即製の広場に集まったところで、聖マルタンの事績を讃える寸劇が行われる。
銀色の兜をかぶって背に赤いローブをひるがえした子が本物の馬にまたがって登場する。ローマ帝国の騎士の姿だ。
そこに貧者役の子が黒い衣装で現れて慈悲を乞う。
騎士は黒子に手伝われながらローブを半分に切って、貧者に与える。
みんながぱちぱちと拍手するうちに馬と騎士は退場。
後はみんなでわいわいと勝手な路上のおしゃべり。
香料を入れてあたためたワイン(ヴァン・ショーという)や、ココア(ショコラ・ショーという)、それにブリオシュなどがふるまわれる。
この晩も寒くて気温は2度だったから、温かい飲み物はありがたかった。
子供たちが声をそろえて歌をうたう――
小さなランタン
小さなランタン
お空を
見れば
きらきら光る
きらきら光る
その灯り
その灯り
Petit’ lanterne
Petit’ lanterne
Etincelle
Dans le ciel
On voit de la terre
On voit de la terre
Ta lumière
Ta lumière
(メロディーは誰でも知っている「フレール・ジャック」。ここに掲げた試訳ならばそのまま歌えるはずだ。これは元は星を讃える歌だろうか。)
***
夏はしばらく日本にいた。
いくつか用事があった中でいちばん大きかったのは万博。
フランス館は展示のテーマを「持続可能な開発 développment durable」と定め、それを機に「持続可能な開発のための媒介者たち」というシンポジウムを開くとぼくに伝えてきた。出席しないかというのだ。
正直に言えば、これまで万博というものを横目で見てきた。
1970年の大阪の博覧会にも行かなかった。いや、どんな万博にも行ったことがない。
今回の名古屋のこともニュースとして聞き流すばかりだった。
「自然の叡智」というテーマ設定はいいけれど、わいわい騒ぎのお祭りの中でそれが具体化できるとは思えない、というのが事前の感想。
しかし、少なくともフランスはこのテーマ設定についてとても真剣だった。実際に行ってみると、フランス館の展示は相当につっこんだ内容のものだった。
特に「映像に浸される劇場 Théâtre Immersif」という、四方の壁と天井まで使ったビデオの映像の印象は強烈。
会場に立つと、資源の浪費、廃棄物、温暖化、北と南の関係、近未来の不安感などのイマージュが四囲から迫る。
ここには浮かれたお祭り気分はなかった。
万博はこういうこともできるのかと感心した。
「持続可能な開発 développment durable」という言葉の普及度は日本よりフランスの方が高いような気がする。
新聞のサイトで検索を掛けるような客観的な方法よりも、たとえばこの万博が他の国の他の都市で開かれたとして、そこに日本が出展したとして、「持続可能な開発」がテーマになるという事態が想像できるだろうか。
持続可能性、英語で言えばsustainabilityが今の日本でどれだけ論じられているだろうか。
例えば、フェア・トレードの商品を開発したフランス人Jean-Pierre Blancがスピーカーとして参加していた。
彼のところのではないが、ぼくの町のスーパーでもフェア・トレードの商品を集めた棚がある。
我が家で食べている米はこのコーナーにあるマリ産のものでなかなかおいしい。
この問題、環境と人類の未来の問題の意識があるからこそ、その媒介者たちが集まることに意義がある。
その姿勢に添って開かれたのが、万博会場のすぐ隣の県立愛知大学のキャンパスのシンポジウムだった。
万博の会期のほとんど最後の時期に連続3日、壇上に登場したスピーカーが27人、その国籍を数えれば17という規模を考えれば、主催した万博フランス館と愛知県立大学、国立民族学博物館、この三者の力のいれかたがわかるだろう。
自分たちも含めて「目の前にある環境の危機と、まだそれに気づいていない普通の市民の間をつなぐ(ぼく自身のスピーチからの引用)」媒介者の役割を論じるのがこのシンポジウムだ。
ぼくの出番は最後だった。作家というのはどんな分野の専門家でもないから、いわば素人としてみんなの話を聞いてまとめる立場。
全体としてはそれぞれの成果の報告が多かった。
問題点の指摘を交えながら、環境問題担当の官僚や民間の専門家、NGOの代表が、今までにこれだけのことをやったと言う。
資源不足と環境汚染と南北の格差は深刻だけれど、それに対してわれわれはこれだけのことをやってきた、というのが基本のトーン。
しかし、足りない、というのがずっと聞いていての感想だった。
人々は努力している。しかし、それでは足りないのだ。
悪くなる速度に対して、よくなる努力が不足している。
ドネラ・メドウズたちの名著『成長の限界』は1972年の段階で開発の限界を指摘し、警告を発した。
科学的なシミュレーションによって環境と経済の先行きを示したこの報告に世界は震撼したけれど、それでも産業の針路はほとんど変わらず、事態はずるずると悪化した。
その後の変化を計算に入れて2004年に出された『成長の限界 人類の選択』はもっと切迫した警告になった。
ぼくが話したことの一部をここに掲げておく――
「媒介者は必要です。Bedrich Moldanさんがおっしゃるように科学的な研究の成果を政策につなげ、Michael Declerisさんの主張のごとくそれを司法によって強化し、Yolanda Kakabadseさんの言うとおりNGOを通じて政策と社会の雰囲気を変える。
それを今すぐ、必死になってやらなければならない。そういうところにわれわれは立っています。
ここでわれわれというのは誰か? この会議には南の方はごく少ない。
ぼくを含めて、いわゆる北の国の人たちが圧倒的に多い。
どうしてこういうことになったのか?
言うまでもなく、今の環境を作った責任の多くが北の国にあるからです。
資源の多くを独占し、二酸化炭素の多くを排出しているのは北の国々です。
資源の消費を抑え、廃棄物の量を減らさなければならないとしたら、まずその努力を払うべきは北の国々です。
なぜならば、何かを我慢しなければならない時には公平であることが絶対の原則だからです。
豊かになる時には少々の不公平にも人は耐えられる。
自分の手の中の宝を見ていれば他人の財宝はあまり気にならない。
しかし貧しい者は持つものを分け合わなければならないのです。
そして、早い話が、われわれ地球の上に住む者はこれからみな、物質的にはずっと貧しくなる。
それを貧しいと思わない心の姿勢を見つけ、それを広めなければならない。そこにこそ媒介者の仕事があります。
ちなみに、今回、アメリカ合衆国からの参加者が一人もいないのは残念なことですね。
なぜならば、あの国こそ政府の方針によって旧来の経済の姿勢を最もかたくなに堅持している国だからです。
最も多くを消費し、最も多くを排出している国だからです。
そして、それゆえに、そこで持続的な開発を訴える運動家たちが政府の姿勢と衝突し、そこから生じる多くの困難に耐えている国です。
彼らにはその体験から生まれた叡智があるはずです。
だからぼくたちは、あの国の同志たちとの間に強い連帯を結ばなければならない。」
では、このシンポジウムは成功だったのか?
成果は上がった。時として議論は白熱したし、ぼくにとっては関心のある話題を論じ、知人を増やし、自分の考えを見直すとてもよい機会だった。
しかし1000人を収容できる広いフロアには聞き手はぱらぱらとしかいなかった。数えたわけではないが、200人を超えていなかったと思う。
メディアもほとんど来ていなかった。会場が万博の外だとか、広報が充分でなかったとか、いろいろハンディキャップはあったかもしれないが、しかし万博そのものが空前の人を集めていた時期である。
20数万人に対して200人。
こんなものなのかもしれない。
だとしても、それが予想されたにせよされなかったにせよ、この催しを企画して実行した三者には拍手を送りたい。
ここで3日に亘って語られた言葉には深い意義があったと言いたい。
<つづく>
(池澤夏樹 執筆:2005‐11‐25)
*「異国の客」は『すばる』(集英社)に隔月連載しています。
http://subaru.shueisha.co.jp/
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□ 『異国の客』
池澤夏樹著 集英社 1,680円
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4087747808/impala-22/
2005年8月までの配信分が一冊にまとまりました。
□ 『キップをなくして』
池澤夏樹著 角川書店 1,575円
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4048736035/impala-22/
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発行 impala :
09:54 AM
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