July 26, 2005

038 緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還 その3

 先日、イラクで長く拘束されていた2人のジャーナリストが解放された。
 リベラシオン紙の記者フロランス・オブナと、彼女の助手で運転手だったフセイン・ハヌーンの2人は今年の1月5日に、イラク移行国民議会選挙の取材の最中に行方不明になった。
 それから157日に亘って拘禁されてようやく自由になった。

 解放翌日の6月13日、リベラシオン紙は1面から20面までを使ってこのニュースを特集した。
 それを見て感じたのは、フランスの社会が実によく2人を支援したということだ。

 最初の段階では実は政府は冷たかった。
 事件が起こったのは124日に亘って武装勢力に拘束されていたクリスチャン・シェノとジョルジュ・マルブルノという2名のフランス人記者が解放されてわずか2週間後のことで、政府としてはまたかという思いだったのだろう。
 人質を取られて政策を左右されるのは許しがたい、とどこの政府も考える。フランス政府は、もうジャーナリストはイラクに行くなと言った。

 これに対して、猛烈な反発が起こった。
 では誰がイラクの状況を世界に知らせるのか? 
 そもそも何のため誰のための報道なのか? 
 ジャーナリストは現場にいなければ仕事にならない。
 そしてイラクは今の世界で最も報道されるべき現場である。

 結局のところ、今回の解放についてどこで誰がどういう交渉をしたのかはわからない。
 途中で身代金の話も出たけれど、すぐに否定された。
 アラブ通の議員が交渉に乗り出すと言い、政府がそれを阻むという一幕もあった(これは誘拐犯の方が以前からフセイン政権とつながりのあったこの議員に接触したらしいのだが)。

 ジャーナリストたちは報道の自由を掲げて結束した。
 報道機関の局長クラス46名が集まってアピールを出した。
 フロランスとフセインを支援する委員会が作られた。
 ぼくは何かの用でパリに行った時に、地下鉄のホームで2人の写真と名を書いたポスターを見た覚えがある。
 知る人も多いと思うが、パリの地下鉄のポスターは1枚ずつがとても大きい。6畳敷きくらいのサイズで、それだけコストがかかる。
 それでも2人の顔と名を人々に知らせ、覚えてもらって、支援を募る、という戦略。資金はすぐに集まったのだろう。

 それだけではない。
 支援大会の切符を手に入れるために人々は雨の中で行列した。
 パリ東駅では「フロランスとフセインのための1000のファンファーレ」というパフォーマンスが開かれた。
 パリだけでなく、他の都市でも建物のファサードに2人の大きな写真が掲げられた。
 フランスとイタリアの国境を、雪の峠を越えて、たくさんの人々が2人のポスターを掲げ蝋燭を手にして行列した。

 パリにある大きなモスクで2人の無事な帰還を祈る催しがあった。
 アラブ文化センターは正面に2人の写真を掲げた。
 10名を超えるイマーム(イスラムの導師)たちが、歩道に坐り込んで2人のために伏して祈る姿が見られた。
 2人のためのデモがいくつもの街角で何度となく展開された。

 要するに、フランス人は力を尽くして2人を支援したのだ。
 だから、この12日、シラクが彼らをパリ郊外の軍用飛行場で出迎え、テレビで「これはフランス全体の喜びである」と演説することになった。
 英雄の帰還という扱いである。

 縦4メートル横2メートル、天井までが1.5メートルという狭い地下室に閉じこめられて、目隠しをされ、「1日24歩だけ歩き、80語だけ話す」生活を強いられたフロランスが、途中で少しだけテレビを見ることを許された。
 目隠しを少しずらして見た画面の下の方に「フロランス・フセイン」というテロップの文字が見えた。
 彼女は「あら、私と同じ名だわ」とまず思ったという。
 こういう形で支援のメッセージは本人たちに伝わっていた。

 印象的だったのは、フランスのメディアがフロランスとフセインの2人の名を平等に扱ったことだ。
 主役はもちろんフランス人でフランスの有力紙の女性記者であるフロランス・オブナである。それは誰もが承知している。
 フセイン・ハヌーンはイラク人であり、彼女の助手だ。
 しかしリベラシオン紙はじめ支援に携わったメディアはすべての場所で2人の名前と写真を同じサイズで並べた。
 これはまずフェアな印象を与え、絵柄として強く訴え、非常に効果的だった。
 解放されてからの写真で見ると、不謹慎かもしれないけれど、フセインもフロランスと同じく実にいい顔をしているのだ。

 2003年11月29日にイラクで奥克彦大使と井ノ上正盛一等書記官が殺された。
 その時に一緒に犠牲になったイラク人の運転手の名をあなたは覚えているか? 
 ジョルジース・スレイマーン・ズラという名を、彼の人柄を、日本のメディアはどれだけ報道しただろう。
<つづく>

(池澤夏樹 執筆:2005‐06‐25)

*「異国の客」は『すばる』(集英社)に同時連載しています。
http://subaru.shueisha.co.jp/

発行 impala : 08:39 PM | コメント (1)