037 緯度と夜、EU憲法、フロランスとフセインの帰還 その2
欧州憲法が国民投票で否決された。
EU統合はここまで着々と進められてきたように見えるから、フランス国民の拒否は意外という印象を与えたかもしれない。
ぼくは日本を巡る東アジアの現状とEUを比べてどこがどう違うのかとついつい考え、EUに対しては肯定的な意見を持っていた。
統合推進は総論としてはよいことだと思ってきた。
しかし、一つの大きな変革である。当然ながら進めるにつれて悪い面も見えてくる。
その間でバランスを取りながら変革を進めなければならない。
急ぎすぎればことをし損じる。
今度の結果について、憲法そのものへのノンではなく、シラク政権の政策ぜんたいへのノンだというのが識者の解説だった。
つまり、増える移民、高い失業率、アメリカ主導のグローバリズムへの不信、などなど。シラクは外に向けてはかっこいいことを言っているが、内政の方ではこのところ国民を満足させてこなかった。その世論が一つの大きな流れとなって、今回の投票行動を決めた、という説明。
それはそうだろうと思う。
EUは遅れてきた帝国主義だという意見もあるけれど、これは違う。
EUが今さら植民地支配を目指しているわけではない。
より強大な国を作って覇権を確立するのではなく、むしろ国民国家を解体の方に向けて改築する。そこのところに意義がある。
アメリカが連邦制度を取りながら実はワシントンDCの力が強いのと比べると、EUの方はほとんどまとまらないままの連合だからブリュッセルの権力は各国政府には及ばない(はずだ)。
しかし、これだけ大きな政治システムを根本から改造するのは容易なことではない。
理想主義を掲げてよいことばかりを並べる政治家たちに対して、国民が不信感を抱く余地は充分にあった。
どこかで議論が空回りして、説得力が薄れた。
今の暮らしの質を維持したままで次の形への移行を図ることが本当に可能なのか。
フランスのメディアでも意見は分かれていた。
リベラシオン紙は全体としてEU憲法に賛成という編集方針を一度は立てたものの、社内で異論が出て、結局は両論併記ということになった。
しかし、ぼくが住む町で積極的に伝えられる意見はほとんどすべてノンの側だった。
朝市でよくビラを貰ったし、家のポストにも何枚も入ってきた。
賛成というのは一枚もなくて、すべて反対。
政府が推す方針にメディアは半分まで乗ったけれど、市民の側から反対の運動が盛り上がって、それが支配的になったという感じだ。
ビラを見ていると、ことを決めるのがあまりに早すぎるというのが反対派の主な論拠だったようだ。
いろいろ問題があるはずなのにその点を説明せず、ただ賛成しろと言われても、そうはいかない。
フランスは高級官僚たちの権限が強い。実際、彼らは優秀で、よく働くし、明快な方針を持っている。
だから大衆は普段は彼らに国の運営を任せている。
しかし、自分たちが国の本来の主人だということはよく知っているから、納得できない時は立ち上がって異議を表明する。
今回で言えば、450ページもある憲法の文章を読んで、あるいは読んだことにして、賛成しろと政府は言ったわけで、国民はこの高飛車な姿勢に反発した。
EU憲法の文案は解読の手引きが刊行されるほど難解な文章の羅列なのだそうだ。
EUはすべて順調にここまで来たわけではない。
1992年の欧州連合条約(マーストリヒト条約)の批准を問う国民投票は僅差で賛成が上回った。
多くの国がまとまれば強くなるという原理は一方ではローカルな価値が全体に呑み込まれて生活感が変わるということでもある。
他の地域からの商品や労働者の流入は今の安定を揺すぶるものではないか。EU経済はヨーロッパ地域に限ったグローバリゼーションではないか。
それとローカルなもののバランスに配慮しなければことは進められない。
もともとフランスではローカルの力が強い。
ワインでもチーズでも地名を冠して売るものについては厳密な地域指定がある。ものによっては村単位、畑単位だ。
発泡性の白ワインでもシャンパーニュ地方で作られたもの以外をシャンパンと呼ぶことは許されない。
グローバリゼーションは資本の側にとって有利である。
経営者はもっともコストが安くて便利な場所に工場を持ってゆく。
関税がない分だけ広いマーケットが得られる。あるいは安い労働力を調達できる。
それによって失職する者、さびれる産業、流出する富があることをローカルな人々は無視できない。
日本人の場合、官への反抗はだいたいささやかなものだけれども、それでも例がないわけではない。
平成の大合併を拒否する自治体は少なくない。
あるいは今、日本にも夏時間をと主張する議員たちに対して、果たして煩雑な切り換えに値するほどのメリットがあるのかという反論は強い。
クールビズとか言う政府主導の夏用の衣装を民が受け入れるとはとても思えない(かつて省エネルックは拒否された)。
振り返れば、E電というばかばかしい名は定着しなかった。
官に対するこのような不信感は一国の健全性の表明であり、その意味で大事だ。
オランダの国民投票でもEU憲法は否定され、EUの首脳たちは憲法の発効を先送りすると決めた。
これから国民投票の予定だったデンマークやポーランド、アイルランドなどは実施を延期することになりそうだ。
民主主義は投票であり多数決だけれど、その前に充分な議論がなくてはならない。
憲法については議論がまだまだ足りないと民は判断したわけだ。
<つづく>
(池澤夏樹 執筆:2005‐06‐25)
*「異国の客」は『すばる』(集英社)に同時連載しています。
http://subaru.shueisha.co.jp/
発行 impala :
09:59 PM
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