パレスチナに対するシャロンの暴行に、以前自分が述べた意見を再度確認してみる気になりました。
特攻とテロ行為を比べるのは、自覚しつつやったことですが確かに軽率且つ乱暴ではあります。ここに来て、あらためて自覚する事です。
現在イスラエルが行っている行為を考えると、どんな抵抗も許される気がします。
ただ、特攻と自爆テロに関して言いたかったのは、自分の命を犠牲にする事の是非、それを強要、またはそこへ誘導する事の是非についてです。パレスチナの惨状を聞いてシャロンを始めとするイスラエルのタカ派に怒りを感じていますが、それでも尚自爆テロを容認する気にはなれません。所詮他人事だからなのでしょうか。
テロリストと言う言葉について考えていたら、似たような単語が他にもあったような気がしました。パルチザン。でも、辞書を調べたら二つの言葉の意味は全く違います。テロリストは、テラー(恐怖)という単語から成ったのではありませんでしたっけ?
イスラムの戦士達は、いわゆるゲリラ行為に類した方法として、何故自爆テロを採用したのでしょう?。
強大な武力と国力を持つイスラエルに対し、他に方法が無いからだ、とは良く言われます、本当に他に無かったのでしょうか?
オサマ・ビン・ラディンは、莫大な富と素晴らしい頭脳を持っていたそうです。(一応、過去形にしていますが)
富と知能が会えば、可能性は無限に広がるように思えるのは私の思い違いでしょうか。彼ほどの力があれば、テロリストとして同胞をアメリカに潜入させるので無く、やがてパレスチナを支えて行くための大切な人材を育てるために、アメリカやヨーロッパに人の種を蒔く事が出来たのではないでしょうか。彼は何故、他の方法を採れなかったのでしょう。アフガンでの戦闘が彼を変えていったという、家族の言葉に感じるものがあります。戦争は、人を変えるものだと思います。人の持つ個性の中の、特定の部分を大きく育て、個性全体のバランスを壊してしまうものなのではないかと思います。
シャロンもまた、壊れているように思います。徴兵拒否の動きが、一部の国民の中で出ていると言う報道を、パレスチナの人々が心にとめてくれるでしょうか。ロサンゼルスでユダヤ人の少年が暴行を受けたというニュースもあります。
どこに動機があったとしても、暴力はやはり、暴力しか生まないではありませんか。アウシュビッツの再来など、世界中の誰も望まないはずですが、今回のシャロンの暴力に、ナチスの掲げた理想世界を思い起こす人が出てこないと、断言できますか?憎悪からは憎悪しか生まれないのですよね?
それにしても、私達の政府のなんと哀れである事か。
小泉政権の最新のメールマガジンを見ても、パレスチナのパの字も出ていません。この無関心振りは、正直の現われなのでしょうか。アメリカに迎合して半端な意見を述べるよりはましと言う事ですか?とりあえず、国内のごたごたで、それどころではないというフリが出来るので良かったのかもしれませんね。
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