緊急特集−利子について 
2002年06月17日

「あまりに根源的な解決策2」を読んで


 「利子」ということ、金を貸してそれ以上の金を取るということに、根本的な違和感を感じている人は多いと思います。

 なら、なぜ古今東西、金貸しは、政治や宗教で禁止されない限り、なくならないのでしょうか。

 それは、きちんとした、嘘でない需要があるからです。

 今欲しいお金を、利子を払ってでも借りたほうが、得だと考える。得という言葉の中には、物欲も、愛する人の手術代金の調達も、自分・子息への教育投資も、結婚資金もなんでも含みます。
 この需要がある限り、そしてその需要に応えることが事業として成り立つ限り、金貸しはなくなりません。
 その資金調達の一形態としての預金もなくなりません。
 預金への利子の付与もなくなりません。
 宗教等で規制をしない限り。

 そのことに対する倫理的な反感を持ち上げてみても、それを読んだ銀行が「そうだな、もう利子はやめよう」とは、絶対に思いません。
 残念ながら池澤さんの考察は、今後どのように展開したところで、実質的に現実に何の力も持たないだと思います。
 全く意味が無いとは思いませんが、詮無いことです。

 イスラムが利子を禁じているのは、例えば感染症を恐れて豚を禁止し、強姦を恐れて女性の肌の露出を禁じ、酔った上での犯罪を恐れて酒を禁じたように、金貸しが小作農を支配する体制を恐れて利子を禁じたのだと思います。
 成立時の情勢に即物的に対応したのです。

 利子の禁止は、当時には意味があったのかもしれませんが、現在は経済活動の足かせにしかすぎません。
 現実に、アラブの銀行は、ものすごく複雑な資金移動をでっちあげ、名目上は利子をつかない形にしながら、現実的には利子ではない名前で利子を取るという非効率なことを続けています。
 なぜか?
 利子という元年が無ければ、現在の国際経済に参加することは出来ないし、人類は利子に基づく経済システムに換わるものを持ちえていないからです。
 イスラムも国際経済の中で結局利子を否定できなかったのです。

 そのシステムに組み込まれた中で、その土台に対してどれだけの異議を唱えたところで空しいと思います。
 日々の生活に関わるもの全てに経済は関わっているし、利子の影は伸びています。

 池澤さんが、現在の国際間の資金移動も含め、全て利子を解さない形で新たな経済理論を構築できたら、それが蓋然性のあるものなら、僕はどこまでもこの生意気なメールをわびます。

 でも、それができないまま、今のような真剣なトーンで問題提起を起こしているなら、無責任な内容のように感じないこともありません。

 既存の世界を倫理で動かすことができるでしょうか?
 現在の世界には最大の倫理、人命よりも重い行動原理が、あちらこちらに多数存在しているように見えます。
 経済は世界を変えてきました。
 経済は貨幣への幻想に成り立っているわけですが、そのような集団幻想を、いくばくかでも抑制できるものとして、欲望と倫理を上げることが出来ると思います。
 全体が、貨幣への集団幻想に巻き込まれそうになるのを、
「でも、楽したいし、おいしいものも食べたいし、サッカーだってみたいじゃん」
という欲望がまず、生産性を抑制するのです。
「世界平和を成し遂げなければならないし、(一部の人は)鯨を食べるのをやめさせねばいけないと思うし、地球環境だってきれいにしとかないといけない」
という倫理もまた、世界経済を抑制します(経済は戦争もある意味で内包していると思います)。
倫理はそのように捉えるのが現実的だと思います。

 でも、最初から集団で現れてくる貨幣への幻想に、個々人の欲望や倫理は最初は個で立ち向かわなければならない。
 集団幻想を越える説得力のあるリアルなコンセンサスを、多大な犠牲の元に築き上げて、そこで初めて、経済を規制するルールが出来ていく。
 産業革命後の世界はそれで動いていきました。

 利子への疑問は、そのようなコンセンサスを生めるとは思いません。
 利子への疑問が、必要とするものの観点を根本的に欠いていることに疑問があります。
 需要が否定できないものなのに、一面的な倫理で利子を断じてよいのですか。
 また、現在の世界経済を利子抜で構築しなおすことに、池澤さんが成功するとも思えません。
 誰も成功するとは思いません。

 正直な感想をお送りしました。今後ともメールを楽しみにしております。

カイロ在住の都市銀行員(27歳)


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