先日、東京にあるカメラの量販店から葉書が来ました。
「お手持ちのポイント5000点分の有効期限は今月末です。お早めのご利用を。」
ちょうど上京する用事があったので、店に寄ってたまたま必要としていた機材を買いました。
ポイントは無駄にならなかった。
これはどういうことかと後で考えました。
この店では五万円の買い物を現金ですると、その10%に当たる五千円分がポイントとして計上されます。この五千円は次の買い物の時に支払いに当てることができる。そのまま残して次々に加算してゆくこともできる。
その意味ではお金そのものによく似ています。しかし、この店でしか使えないこと、有効期限があること、それに預けておいても利子が付かないところが違う。
この店でしか使えないのは、もともと販売促進のために考案された制度である以上、当然のことです。有効期限があるのも頻繁に足を運んでもらいたいからでしょう。
似たような量販店のチェーンがいくつもあって、商品や価格はさほど変わらない。この状況で、顧客をいわば囲い込むためにこの種の制度が作られました。
一つを選んでそこだけで買い物をした方がお客としては有利になる。
似たようなものに航空会社のマイレージの制度があります。
無事に買い物を終えてぼくが考えたのは、なぜこのポイントには利子が付かないかということでした。
逆の疑問。なぜお金には利子が付くのか。
子供の時に、利子というものがわからなくて大人に聞きました。
郵便局や銀行にお金を預けておくと増える。そう教えられて、なんとすばらしいことだろうと思った。たくさんお金を持っている人はその利子だけで働かずに暮らしてゆける。
本来、お金の原理は単純なものでした。
畑を作ろうが海で魚を獲ろうが、個人ごと家庭ごとの自給自足はむずかしい。そこで余ったものと足りないものを交換することになるが、しかし物々交換はとても煩雑で大きなマーケットを作りにくい。余った物が欲しい人の手元に効率的に届くためには、価値を数字で示した媒介物があればいい。
これがお金の起源です。
それ自体に価値がないと人が受け取ってくれないから、金や銀、銅、遠方の海でしか穫れない貝殻などでお金は作られました。希少性が価値を保証し、偽物が出回ることを防いだ。
金貨は重くて扱いにくいので紙幣が用いられるようになってからも、どうしても金が欲しい人は持ってくれば紙幣と金を交換するという制度がつい先頃までありました。いわゆる兌換紙幣です。
ここまではわかりやすい。
問題は、子供のころのぼくがすばらしいと思った利子というものです。
お金はなぜお金を生むことができるのか。
子供に返って、大人の説明を聞いてみましょう。
世の中には事業を興すためにまとまったお金を必要としている人がいる。銀行などに預けたお金はそういう人に貸し出され、やがて利子と共に返される。
だからお金を預けた人には利子が入る。
よく考えてみると、預けたお金と貸し出されたお金は、まるで性格が変わっていることがわかります。
本来ならば額面の数字を保証されているはずのものが、増殖するものになっている。
そこで子供であったぼくは疑問を持ちました。
事業というものはすべてうまくいって利を生むわけではないだろう。中には立ち行かなくなって利子はおろか元金も回収できなくなる例もあるはず(いわゆる元も子もないという場合です)。
それを含めても、全体として利子が生じるという保証はどこにあるのか。
実を言うと、この疑問は今も消えていません。
人がものを作って、交換して、消費して、暮らす。
そこまではわかります。それは天災などで破綻しないかぎり何百年でも続くでしょう。人が生活のために働くことをぼくは疑わない。それはすべての生物がやっていることです。これを否定しては生命は成り立たない。
しかし、利子という制度は最初から成長を前提としています。どこまで行っても止まらないはずのものとして考えられている。
子供の体格の場合、成長はやがて止まります。経済の成長はなぜ止まらないと言えるのか。なぜ無限の成長が前提として認められるのか。
昔、人間が無知だった頃、世界は無限と考えられていました。
しかし(ヨーロッパに視点を置いて考えるとすれば)、新大陸が発見され、アジアへの航路が確保され、オーストラリアと南極大陸が発見されたところで、世界は有限になりました。
あるいは、つい最近まで人は大気は無限と考えていました。いくら煙を出しても、やがてそれは拡散して消える。ぼくが子供の頃、重工業地帯の煙突から吐き出される黒煙は繁栄の象徴でした。
しかし、今では中国の工場が出す煙が酸性雨となって日本に降ることが知られています。日本の援助で中国の工場は煙突に脱硫装置を組み込んでいる。
大陸と同じように大気は有限でした。
無限というのは数学の概念です。
物理学に無限はありません。宇宙がどんなに広くても、その起源がいかに遠くても、無限ではない。だからその有限性を確定すべく努力する。これが物理学の基本姿勢です。
万物は変わりゆくのだから、永遠や無限という言葉は現実の物質世界には適用できない。
そして、ぼくたちは現実の、物質からなる世界に生きている。まして、人類の経済活動は地球の上に限られている。
それならば、銀行が保証し、国と国際的な金融システムが保証しているところの利子というものの根拠である無限の成長はあり得ないのではないか。
何かものすごく間違った前提の上にすべてが組み立てられている。
それは今の社会にとってあまりに根源的なものであるので、疑うことさえ恐ろしい。
しかし、いくら考えなおしてみても、そこに解決しようのない矛盾がある。
この「新世紀へようこそ」は2001年9月11日の、ニューヨークとワシントンへのテロ攻撃と、それに対するアメリカ政府の反応をきっかけに始まりました。
さまざまな話題を扱ってきたけれど、何を論じていても、いちばん根源にあるのは何なのかという疑問がずっとつきまとっていました。
全体の論調としてぼくはアメリカの攻撃的な姿勢を批判してきたようです。
しかし、そうしながらも、アメリカを非難してどうなるものかという思いがつきまとっていた。
敵を見つけたと信じて、あいつが悪いのだと叫ぶだけでは、早い話が「悪の枢軸」を指さすブッシュ氏と同じになってしまう。
ぼくの言葉は実効性を持つことなく、ただの自己満足に終わる。
もっと深い根源的な問題があるはずです。
今、それが利子ではないかと考えています。
あまりに根源的すぎる。そうかもしれません。
しかし、だからこそ正面から取り組まなければいけない。
大きな話題なので、一回では書ききれないようです。この後、何回か連載のようなことになるかもしれません。
なるべく間をおかないよう心掛けます。
ぼくの先回りをしたい方は以下の本を読んでみてください。
『エンデの遺言』 河邑厚徳・グループ現代著 NHK出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4140804963/impala-22/
『エンデの警鐘』 河邑厚徳・坂本龍一著 NHK出版
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4140806672/impala-22/
『緑の資本論』 中沢新一著 集英社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4087745767/impala-22/
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